2019/10/31
ワイン好きであれば、誰もが知っているワイン大国、スペイン。今でこそ、生産量もフランスやイタリアに比肩し、世界的に有名な生産者なども数多く出て来ている注目されている産地だ。
さて、そんなスペインワインはどのような歴史を辿り、この場所までやって来たのだろうか。ここからは、スペインワインが辿り続けて来た歴史について紹介していきたいと思う。
古代
スペインワインの歴史を辿るには、古代ギリシャ人やフェニキア人たちの話から始めなければならないだろう。
彼らは、紀元前1100年頃から紀元前500年にかけて、南のカディスから北東端に至まで、スペインの大部分を支配していた過去がある。
実は、ギリシャは古くからブドウ造りをしていた国であることから、この時に彼らがブドウ樹と同時にワイン醸造の技術を伝えたことが、スペインワインのはじまりと言われている。
紀元前100年頃になると、ワイン生産はこの土地の名物となっており、商品によって帝国内に流通させられていたとされている。
自国のワインは美味しいということで評判になることで、それからワイン造りが広くスペイン内に伝えられるようになったと考えられるだろう。さて、711年に頃になると、イベリア半島にイスラム教徒が侵略がスタートする。
禁酒という戒律を守り続けている彼にとってみれば、ワインを飲むことはもちろん、醸造することもあり得ない行いとなる。しかし、ブドウが造られればワインが造られてしまうため、その時にほとんどのブドウ樹が破壊されてしまったと言われてる。
しかし、中でもとても評判が良かったワイナリーのブドウ園だけは残したと言われており、ワインが経済活動において重要な物品となり得ると考えていたのではないだろうか、とも言われている。
結果この場所はイスラム教徒たちによって支配されていってしまうが、キリスト教徒たちによる国土回復運動、つまりレコンキスタがスタートしてイスラム教徒はこの地をどんどん追いやられていってしまう。
このレコンキスタによって、キリスト教徒たちによるブドウ畑の再興がなされるようになり、スペインはまたワイン生産量を増やす事に成功したのだ。
引用:http://www.sherry-japan.com/knowledge2.html
中世
スペインのワイン造りのルーツを辿っていくと、実は古代にまで遡ることがお分かりいただけたと思う。
そして、スペインは中世になるとワインの生産量を増やしていき、ワイン大国として力を付け始めて行くことになる。レコンキスタが終わりを迎えた15世紀頃には、今度は大航海時代が幕開けする。スペインはこの状況に注力し、広く市場を開拓していくことになる。
アメリカや大陸にワインをもたらしたり、メキシコやペルー、さらにボリビアなどスペイン人たちが、世界中の産地にワインを伝え続けたとされている。その結果、広大な土地と市場が開けることなり、瞬く間にワイン大国として成長し続けていったのだ。
また、特にイベリア半島南部で造られているワインは歴史があり、美味しいと評判だったことが貿易商たちの目を引いたことも大きな要因のひとつだろう。
当時、特権承認として当局の保護を受けていたイギリスの商人たちがスペイン南部に移住することになったことも、イギリスとの取引が増えるきっかけになった。スペインにとってイギリスがワインの重要な取引先となっているのには、こういった時代背景もあったのだ。
さて、そんなスペインだが、16世紀頃からワイン大国としての骨格を築き上げて来た、と言われてる。
まず、カタルーニャ地方やバレンシア地方の蒸留酒、アンダルシア地方の酒精強化ワインなどが多く輸出されており、その後にイギリスやオランダなどにも広く輸出されることになる。当時、保存技術などがまだ発達していないこともあり、蒸留酒や酒精強化ワインは輸出に向いているアイテムであってことは確かだろう。
さらに、スペイン自体が非常に天候が良く、乾燥地帯であることからブドウ栽培に適した地帯であり、糖度の高い安定した品質のワインを造りやすい場所であったことも関連する。
アルコール度数が高いことで保存性が高まるため、長期間の旅を経たとしても良い状態で熟成しており、そういった味わいも好まれたことが予想される。
スペインのワインが注目されるきっかけになったのは、こういった中世のルート開拓や保存性が高いワインを造ることができたから、とも考えられるだろう。
引用:https://tabispain.com/descubrimiento/
近現代
19世紀頃になると、スペインのワイン文化はさまざまな転機を迎えることになる。
まず、フランスへのテーブルワインの輸出が重要視されるのだが、それはまずウドンコ病にフランスのブドウがおかされてしまったという理由がある。被害が拡大していくフランスの一方、スペインは乾燥地帯のため、あまりブドウ園に被害が訪れなかったことも幸いした。
また、当時はあまり鉄道技術が発達していなかった事もあり、カタルーニャ地方やバレンシア地方などの沿岸部のワインがそういった意味では輸出されやすく、評判を獲得していった。19世紀の後半になっていくと、国内で鉄道網が発達したことでスペインワインは自国消費量も飛躍的に高まり、生産量も年々増加傾向にあった。
そして、フランスが19世紀後半にフィロキセラによるブドウ園壊滅の危機を迎える。そのため、フランスのワイン生産者やブドウ栽培家たちが国境を超えてスペインに入っていき、新しくワイン造りを始めるということになる。
フランスのレベルの高い栽培技術や醸造技術が伝えられていったことで、結果的にスペインワインの味わいも向上。しかし、フィロキセラがアメリカ系ブドウ樹を台木として使うことで防げることが判明し、結果的にフランスとの通商条約も解消した。
さらに、スペインにもフィロキセラの猛威が襲って来たことで、ブドウ樹も深刻なダメージを受ける。対策は早めに行われたものの、結果的に生産量や輸出量も減少してしまう結果となった。
また、この頃着色料を使ったり、悪質な偽造ワインを一部生産者がたちが造っており、そういったワインを造る国としてスペインワインは評判を落としていった。さまざな問題を抱えたことで、ついにヘレスとマラガにデノミナシオン・デ・オリヘン(DO)、つまり原産地呼称制度が導入された。
しかし、フランコ体制下の半鎖国政策によって輸出量が激減してしまい、スペインワインは暗黒期をむかえることに。スペインワインにとって苦しい時期が、1975年にフランシスコ・フランコが死去するまで続いた。
彼の死後、民主化の時代を迎えると、スペインワインはかつての量から質という方向に舵取りが行われ、現代的な栽培技術や醸造技術が取り入れられるようになった。
大手資本がスペインに入ってワイン造りを行うことにより、さまざまな技術が広く伝えられスペインワインの信頼は復活を遂げていった。リオハはもちろん、プリオラートやリアスバイシャス、ラマンチャといった産地で高級ワインも造られているようになり、スペイン全土のワインが世界的に注目集めるように。
スペインワインの代表格でもある高級品種のテンプラニーリョに植えかえが進められ、安ワインというイメージから高品質なワイン産地として名声を高めた。
今、カバなど新しいランクをつくったり、生産者団体が力を入れて土地をアピールするなど、スペインワインは改めて注目すべき面白い時代に突入している。今後も、必ずチェックし続ける必要がある、そんなワイン産地だろう。
ふぃろきせらにかかったブドウはこのようになってしまう。
引用:https://wine-mellow.com/media/2018/01/10/484